神谷安吾の”In The Garage”

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#21 〜火花〜 名シーン振り返り

 

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火花 又吉直樹


3連休の始まりということで、本でも嗜もうと思い川端康成の「美しさと悲しみと」を開いた。半分を読み進めたあたりで腹が空いてきたので、行儀悪くもご飯を食べながらnetflixのドラマ版「火花」を観始めた。(もう4周目)

何度観ても同じところで笑うし同じところで涙するあたり多面的な見方はできていないような気もするが、何度観ても感情が揺さぶられる。川端に一旦しおりを挟み、続いて小説版「火花」を再読することにした。

 

今回の雑記では、「火花」の名シーンをドラマ版、小説版に分けて各5個綴ります。

(※ネタバレ注意)

 

ドラマ版「火花」

太鼓の太鼓のお兄さん

小説版と異なるのはリズムとメロディーをはっきり表出できるところにあると思う。あのリズムとメロディーと後半のゴロの悪さは文章では受け取る印象、汲み取る印象ともに幅が出来すぎてしまい、映像だとイメージが限定できる分、小説版でのイメージとの答え合わせができる面白さがある。井の頭公園で真っ赤な帽子のお兄さんがいることを切に願う。

 

ドラマデビュー

スパークスがドラマデビューを果たすということで、テレビの前で今か今かと手巻き寿司を囲みながら放送を待つ徳永と山下と山下彼女(ゆりえ)。いざ出演シーンが映し出されると、山下のみが数秒だけ映るという結果に。「なんや、つまらんドラマ。」とゆりえがTVを消し、慰めるように山下が、徳永用にゆりえに寿司を巻いてもらうよう促すも、徳永はマグロやサーモンなどではなく「きゅうり」と呟く。他人からの同情、世間からの評価を受け自分の不甲斐なさに落胆した人間が注文するのは、納豆やイカでさえなく、きゅうり。

 

引っ越し祝い

露出と収入が増え、ボロアパートから下北沢のマンションに引っ越しした徳永。引っ越し祝いを新居にて山下とゆりえと後輩芸人で酒を酌み交わしていると、後輩芸人や山下の口から徳永が慕っている神谷の悪口がこぼれる。場の空気を乱さぬよう苛立ちを抑えながらも悔しさを浮かべていたその時、呼び鈴がなり宅配便が届いた。送り主は神谷だった。明らかに部屋には大きすぎる観葉植物を受け取り、「ちょうどええわ。」とその日一番のとびきりの笑顔でこたえる徳永とその場にいる冷ややかな他の人間との対比に心えぐられる。

 

自分を貫くか世間を選ぶか

大きな舞台で漫才をやるチャンスがきた。徳永は自分の信念を曲げて発するボケを嫌がる。しかし山下は客ウケ、他からの評価がわかりやすく高いボケを要求する。本番直前まで一つのボケに対して2人の意見が割れていたものの話し合いの末、徳永が妥協する形で山下の案を採用する事に。本番が始まり笑いのボルテージが高まっていく。パンパンに溜まった笑いが爆発する準備は整った。あとは決めのひとボケ。山下がフリを入れる。徳永が口を開こうとするこの瞬間にスローモーションになる。山下の怒りと不安の入り混じった無言の形相が徳永に向けられる。実際には1秒もない緊迫の間。徳永は山下の案を成立させると同時に会場がその漫才中一番湧いた。

スラムダンク山王戦の一コマのようなコンマ単位のせめぎ合いに痺れた。

 

よーいドン

お笑いの仕事の全くない神谷、仕事が増え始めた徳永。その日もラジオ出演が控えていた徳永ではあるが、出番ギリギリまで神谷に別れを告げることが出来ずに飲み歩いていた。

道路に飛び出し、「よーい!」と叫びクラウチングスタイルを構える神谷。遅れを取らぬよう徳永も慌てて構える。「ドン!」というスタートの合図で走り出したのは徳永だけであり、神谷が横を走っていないことに気づいた時すでに2人にはだいぶ距離があった。

立ち位置とこの距離が意味する事を考えれば考えるほど切なくなる。

 最後の漫才シーン、徳永が神谷に声を荒げるシーン、真樹さんとの別れのシーンと並んで涙腺を崩壊させたシーンの一つ。

 

 

小説版「火花」

基準

「一つだけの基準を持って何かを測ろうとすると眼がくらんでまうねん。」

自らの狭い小さな視野だけで物事を決めつける事は多々ある。楽な方に流されることも多々ある。僕もこの言葉を戒めにしていこうと思わされた。

 

絶対的な差

僕は神谷さんを、どこかで人におもねることの出来ない、自分と同種の人間だと思っていたが、そうではなかった。僕は永遠に誰にもおもねることの出来ない人間で、神谷さんは、おもねる器量はあるが、それを選択しない人だったのだ。両者には絶対的な差があった。

自分には無いものへの憧れに近づこうとすればするほど遠い、いやもっと言うと届かない、自分とは異なり彼にはなれないことにはっきりと気づいてしまう。何気ない2文ではあるものの果てしない絶望感を味あわせられるこの文の力に読み進めるのを中断したくらい打ちのめされた。

 

楽屋から洩れた声

「笑われたらあかん、笑わさなあかん。って凄く格好良い言葉やけど、あれ楽屋から洩れたらあかん言葉やったな。」

ドラマ版でも名シーンではあったが、小説の会話文だけでも様相が完璧に伝わってくるので小説版から選出した。

昨今、夢の国でのいじめ問題とか、マグロではない謎の赤身の寿司とか、バイト雑誌の「スタッフも優しく、働きやすい職場です」とか、裏側が透けてしまうことで疑心暗鬼になり本来の純粋な感情から遠ざかってしまうような、過剰な俯瞰性が身についてしまう勿体無さについて一芸人が書いたことの意味はとても大きいように思える。

 

夢の終わり

「自らの意思で夢を終わらせることを、本気で恐れていた。 〜(中略)〜いつか自分の本当の出番が来ると誰もが信じていた。」

何か行動を起こしているものに対して訪れる障壁。その酷な決断を迫られた際、折り合いをつけて生きていかなければならない、事が多い。経済、環境、時間、人間、様々な要因が複雑に絡み合い、何かが生まれれば何かが終わろうとする。損切りは早い方が良いという合理的ポジティブさを会得していない人間を弱者とするならば、世の中には弱者の方が多い。夢というものの希望と不安の混ざり具合は実は5対5ではなく、やや不安寄りな気がした。

 

その後に出てくる批判コメントのくだりにおいて、創作者側に一度立って見てほしいと書かれている。ただ、真っ向から批判者にぶつかるのではなく、恐怖や喜びという経験をする事で見え方、考え方が変わるよとたしなめるように書かれてあるところに又吉直樹さんの優しさや内に秘めた情熱が滲み出ているように感じた。

小倉のおっさんはこの部分を読めていないと、とくダネを観た時に思わざるを得なかった。

 

世間

「でも僕達は世間を完全に無視する事はできないんです。〜」

 自己と他者との難しい関係性の中でのもがき。決して綺麗事だけでは通用しない現実についてフィクションが語ろうともまるでその場で説法を聞いているような、そんな感覚に覆われた。

 

 

 終わりに

僕の火花には9枚の付箋紙が張り付いてあり、他にも何本もの線が引かれている。武者小路実篤の「友情」、蔭山克秀の「センター倫理」、行川和彦の「パンクロック・ハードコアディスクガイド」と同じくらい読み込んだ一冊となった。

 

地の文でも紹介したい魅惑的な表現もたくさんあったが、会話文の圧倒的な力が上記の選出として表れたように思う。

 

「地獄、地獄、地獄・・・」、「真樹さんの変顔」、「音を立てずにコーヒーカップを置く」、「ベージュのコーデュロイパンツ」などなど細かく話したいシーンはいくらでも出てきてしまうなぁ。

 

ドラマにはドラマの良さが、小説には小説の良さがあり、純文学と純エンターテイメントが絶妙な比率で混じり合った傑作だと思う。難解だとか曖昧だとかいう批評も目にした事があるが、実際は丁寧にわかりやすく書いている節が感じ取れる。

 

ハッピーエンドでもなくバッドエンドでもないことに「曖昧」という表現も正しいように思えるが、その曖昧さの、答えのない過程を揺らめきながら歩いていくというものが人生を表しているのではないだろうか。だから僕らは途中なんだと。

 

P.S.

火花出版により又吉直樹さんが多くの媒体で「本」(以外の創作物も)について語ってくれるおかげでいろんなモノに向き合う機会が増えた事に感謝している。本当に心から直接お礼を言いたい。今はここでお礼を述べたいと思う。ありがとうございます。火花、大好きです。

 

神谷才蔵語録botでも作ってみようかな。

神谷安吾